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おはようございます。「中国地方建築の旅」2日目の朝です。

昨日は移動で疲れてしまい、ちょっと寝坊してしまいました。朝ごはんも食べ終わり、現在の時刻は10時30分です。早速、今回ひとつ目の建築「原爆ドーム」に向かいたいと思います。

まだ昨日の記事をご覧になってない方はこちらからどうぞ。建築はまだひとつも巡ってませんけど・・・笑。

広島原爆ドーム

まずは広島駅からひとつめの建築、「原爆ドーム」に向かいたいと思います。

広電広島駅

広島駅から広電で15分、「広島原爆ドーム前」で下車します。

原爆ドームはもともと、「広島県物産陳列館」として、1915年に建てられました。建物の構造はレンガ造ですが、中央の楕円形のドームは鉄鋼でできています。

鉄骨の螺旋階段もご覧の通り、ぐちゃぐちゃに破壊されてしまっています。

鉄骨がいともこんな簡単に曲がるとは相当な破壊力です。

平和記念公園にあるトイレ

原爆ドームのすぐそばに「丹下都市建築設計」が設計した公衆トイレがあります。なんとも美しいトイレでしょうか。

原爆ドームの近くと、平和記念公園内にはこのように、新しく建て替えたトイレがちらほらと点在しています。

それにしても従来の公衆トイレを思わせないような美しい列柱デザインです。

よくみると一番外側の列柱は、建物を支える構造柱ではなく、視線を遮るためのものであるということがわかります。

つまり、真ん中の四角い箱のトイレ自体が全体の屋根を支えています。

なんとも豪華な柱の使い方でしょうか。

通常の公衆トイレは臭くて近寄り難く、中が壁で見えないような不衛生なイメージがありました。

しかしこのトイレは壁ではなく、列柱で視線を遮り、外からでも視覚的に開放的なデザインにすることで、臭くて不衛生なイメージを払拭し、利用しやすいトイレデザインとなっています。

橋を渡って、平和記念公園側から原爆ドームを眺めます。右にあるのが「おりづるタワー」です。

ここでスケッチをしてみました。

私のスケッチはいつもこんな感じです笑。

広島平和記念公園の軸線

現在の時刻は午後0時、づついては「広島平和資料館」に向かいたいと思います。

原爆ドームから橋を渡ると、原爆ドームと広島平和記念資料館の軸線上に挟まれます。

ここからは緊張感ある空間に感じます。

僕は去年の夏、インドの「タージ・マハル」に行ったことがあるのですが、この光景を見て、その「タージ・マハル」のことを思い出しました。

インドのタージ・マハル

今立っているところからお庭を挟んで軸線がある感じがその景色にそっくりです。

公園のつくりもなんか「タージ・マハル」に似ています。

インドの方はこんな感じで、真ん中に軸線があります。このようにライン上に一時的に立つことはできますが、そのライン上を歩き続けることはできないようになっています。なので、軸線上で写真を撮れるようなスポットではこぞって人が混んでいます。

一方の広島もこんな感じで、軸線はあってもその上を歩き続けることはできません。

この公園の設計は丹下健三氏によるものですが、丹下さんは軸線を作ることはあってもその上を歩けるような設計はしません。

写真のように確かに軸は存在するのはわかるものの、実物的な身近に体験できるような軸線ではありません。

おそらくこのようにして、ある地点に立った瞬間に全ての出来事をパッと、ワンシーンのように体験することで、スピリチュアル的な軸線として人々の記憶の中に残るような設計になっているんだと思います。

このように様々な角度の軸線上からではなく、ある特定の地点を決めることで、人々の記憶の中に残る同じワンシーンを共有することができます。

広島平和記念資料館

一昨年も、広島に旅行したことがあるのですが、その時は資料館の本館がにニューアル中で、囲いでのせいで近づくことさえできませんでした。

リニューアル当時(2018年9月)
リニューアル後の本館

その時と比べるとピロティの柱がきれいになっていることがわかります。リニューアル当時は隠された梁も仕上げが剥がされて、見えるようになっています。これはこれでその時行ってよかったかも。

こういう建物を修繕・維持するにはかなりのお金がかかり、以後建築を残すためにも大変頭が下がることですが、リニューアルを迎えるたびに少し残念なものになってしまっています。

開館当時の本館

なんかあまりにもきれいになり過ぎて、当時の勢いというか、迫力といったものが薄れてきた気がします。

こんなこと言えるような立場ではないですけれども。保存という観点から仕方のないことです。

それにしてもいまだだ丹下氏のスケール感は健在です。

特にピロティ空間は人間的なスケールを越えて、とにかくでかいです。床の高さは5.6mほどあります。こんな空間は僕は初めて体験しました。なんせ前回見れませんでしたから笑。

ただ建物を浮かせるのではなく、洗練された都市スケールで周囲の環境を巻き込み、神殿建築のようで、実はそんなにオラオラしていない感。

公園の主役のような建築であって、実は原爆ドームの方を向いている。これは当時の建築からすれば考えられないような設計だったでしょう。

久しぶりにこんな興奮しました笑。

たっぷりとピロティを見てみたいと思います。

柱の見付け

角度によって異なって見える柱。軸線に沿って、柱は細く見えるような工夫がなされています。

なんかエンタシスの逆で、中央が窪んでるんですね。

とてもくびれのようにスリムで美しいです。

柱の見込み

特に外側からの見付け部分はよりシャープに見えるような工夫がなされています。

四隅の柱も様々な角度から楽しめます。さすが、コルビュジエを尊敬されていただけあります。

当時のコンクリート木枠の跡は健在です。

改修されているのでとてもきれいです。


階段のガラス手すりはいらないかなー。

ちょっとガラスは周りの勢いのあるコンクロートと浮いて見えてしまいます。しょうがないですけれども笑。

当時はこの階段が美術館の入り口だった、現在は使われていない

いよいよ中に入っていきます。

新型コロナウイルスの影響で入場するには当日整理券が必要です。今日は整理券に余裕がありましたが、9月からは、事前にオンラインでのチケットの購入が必要らしいので気をつけてください。

2019年4月、本館の展示がリニューアルオープンしました。

本館では原爆で被曝された方の遺品や、当時の状況を物語る映像や写真、がれきなどが展示されています。

これは当時の「広島富国館」の強烈な被風によって折れ曲がった鉄骨の梁の一部です。

丈夫な鉄骨がこんなに曲がるとは考えられないような威力です。

爆心地の100mの近さにある現在の平和記念公園の被爆後の様子です。

その後、市民が残された遺品や後世に残すべく資料となるものをかき集め、広島市中央公民館に展示されていましたが、これらの悲惨な現状を世界にもっと知ってもらうべく、当時は「広島平和会館原爆記念陳列館」としてそれらを保存、展示する目的で開館しました。

コンペでは丹下健三氏の案が一等となり、現在では本館が重要文化財に指定されています。

近代建築の重要文化財の指定はこれが初めてです。

当時の立面図と断面図です。

実は開館当初の本館の展示室は屋外さらされていました。

開館当初の本館展示室、自立式ボードに被曝による後遺症について展示された
竹、自転車がむき出しで展示されている
ギャラリーには当時熱線を受けた瓦や墓跡がそのまま展示されていた、ギャラリーは内外を仕切るガラスはなく、雨、風、光にさらされていた

展示物を保存するためには、仕方ありませんが、やはり当時のこの力強く、また外観と一致したこの展示室がみたかったです。

またこれはインドですが、チャンディーガールのコルビュジエの美術館はこのように内外が全く仕切られておらず、当時の力強い、荒々しい建築が今でも残っています。

チャンディーガールの美術館、内部はほとんど外気にさらされている

これは東京のコルビュジエ設計の国立西洋美術館です。実際、実務に当たったのは弟子たちなので、コルビュジエの思うようなダイナミックな仕上げが、最初っからからなされていないのは残念です。

これはこれで海外の設計が、日本でローカライズされた作品なので、インドの作品と比べると面白いと思います。

逆にインドに行けばコルビュジエの本来やりたかったことに遭遇できます。

日本の美術館は内外が仕切られている

現在の展示室は、先ほどのようにうず暗く、真っ黒な仕上げがなされた展示室です。

現在はといいますと、このようにガラス冊子の入った、屋内空間です。

僕はせめてギャラリーは屋外でもいいと思うのですが、現代の美術館に求められる機能は当時とは異なるものです。

本館にある階段も今は全く使われていません。

中央から原爆ドームを見た様子です。

その後、スケッチをしました。大変失礼ですが、僕はこのくらい荒々しく、力強くてもいいのかもしれません。

当時のことを考えればこういうことを丹下氏はやりたかったのではないでしょうか。

広島市環境局中工場

続いて、谷口吉生氏設計の「広島市環境局中工場」に向かいたいと思います。

「広島記念公園」バス停より広島バスで10分くらいで「南吉島」バス停で下車し、そこから徒歩5分で着きます。

バス停を降りると、このように真っ直ぐな道路の先に大きな建物が見えてきます。

これが「広島市環境中工場」です。

道を歩き進めると、このような美しい焼却場に着きます。

いやー最初はどこが見学の入り口かわかりませんでした。

谷口氏の建築のアクセスは毎回迷ってしまいます。なんででしょう。

実は左右にこのような入り口があります。

ここを上って見学したいと思います。

するとこのような巨大なエントランスに遭遇します。

よく見ると、この谷口氏設計の見学工場も大きな一直線上に存在して、しかも、先ほどのバス停からずっとまっすぐ歩いてきて、いったんその軸を外れるようなアプローチをとっています。

同じく丹下研究室出身の谷口氏もこの広島で、このような軸線をやられたかったのではないでしょうか。

先ほどの軸から外れて、再び軸上に戻ると、その先には大きく開けた広島の海が広がっています。

脇の階段からもう一度軸に戻ってその先を見ると、なんとも考えられなかった光景が広がっているのです。

おそらく、先ほどの道路から徐々に徐々に階段を上がりながら見える向こうの景色よりかは、いったん軸線を外れてバンっと現れる景色の方が感動するに違いありません。

というか実際に感動してしまいました。

だって、普通ゴミ処理施設と言ったら、なんか閉ざされてて、あまり馴染みのないような建物ですが、それを谷口氏は見事、逆転の発想で、それを美術館にしてしまうことで、これらのイメージを美しく払拭しました。いつかニューヨーク近代美術館に行ってみたいものです。

谷口吉生氏の美術館の記事もぜひご覧ください。

http://jpn-architecture.com/building-type/museum/%e5%8f%a4%e9%83%bd%e5%a5%88%e8%89%af%e3%83%bb%e6%b3%95%e9%9a%86%e5%af%ba%e3%81%ae%e5%ae%9d%e7%89%a9%e3%82%92%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e9%83%bd%e5%86%85%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%ef%bc%81%e3%80%90%e6%b3%95

いざ中に入ります。

こういう一言で表現することは、思考停止しているのと同じことですが、まるでSF映画みたいです笑。

でもそれくらいこの工場が美しいものだということです。

これは展示されていた模型です。

青く光っている部分が今現在私が立っているところです。手前が先ほどの道、奥に海が広がっています。

このように施設を大きく二分することで、大きな軸線がこの工場を貫けていることがわかります。

この軸線の下には様々な荷下ろしのための駐車スペースがあります。なのでいかにもこの軸はこの工場の中心的な空間であることがわかります。

一番奥側にごみ収集車からゴミを一時的に貯めるゴミピットがあります。

そこから最終的に私たちほのうに向かってゴミが処理されてゆくのがわかります。

ではこの軸をさらに進むとどのような光景が広がっているのか、

ジャジャン!

広島の山々と港が一望できます。

海側から通ってきた道を振り返ります。

さらに階段を降りると実際に海に近づけます。

このキャンチしている感じがどこまでも延長していきそうな美しいテラスです。

海風がきもちい。

このように敷地の外に対して開けた建築だということがわかります。

帰りは、この海沿いから建物を回るように行けば、最初のエントランスに戻れます。

つまり、あの見学施設はあくまでも工場を突き抜けるための自由通路だということがわかります。

こうして広島市に浮かぶ「吉島」は丹下先生の軸線に始まり、この谷口先生の軸線で終点を迎えるのでした。

谷口氏の工場を起点に広島平和記念公園までずっと続く一本道、吉島は一本の筋が通っている

宿へ向かう

今日の宿はぜひ皆さんにご紹介したいところでございます。

今日はここでおしまいです。明日またお会いしましょう。

3日目に続く。

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