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基本情報
所在地 | No. 1號, Jiantan Rd, Shilin District, Taipei City, 台湾 111 |
アクセス | 地下鉄淡水線「剣潭」駅下車すぐ |
開館日 | 水曜~日曜 |
開館時間 | 14:00~17:00(最終入場16:15) |
見学方法 | 見学ツアーの詳細はこちらからご確認ください ※団体での訪問は要事前メール |
HP | https://tpac.org.taipei/en |
ホール+ガラスボックス
「台北パフォーミングアーツセンター」はOMAの設計により2022年5月に竣工しました。建物は鉄骨造で、球状の800席の「グローブ・プレイハウス」、1,500席の「グランド・シアター」、800席の「ブルー・ボックス」の3つのホールを有しており、3つのホールのヴォリュームが中央の四角いガラスの直方体に差し込まれたかのような外観が特徴です。
中央のガラスの建物(=ガラスボリュームの西側に建物全体のコアボリュームが配置される)にはそれぞれのホールの奈落やフライタワーが納められ、余ったスペースに1階と2階が吹き抜けになったエントランスホール、2階にホワイエ(ショップ・チケット売り場)、上階の会議室、スタジオ、中庭が収められています。
ガラスは海外で製造し輸入した波板ガラスが使われます。
グランドシアターとブルーボックスは連結されており、用途に応じて両ステージが見通せるような演出も可能となっています。
エントランスホール
訪問者は1階のピロティからエントランスに入ります。
入り口から中に入ると2階まで吹き抜けのエントランスホールになっています。
エントランスホールの階段・エスカレーターを上ると2階ホワイエに通づる緩やかな階段があります。
ホワイエ
階段広場の先にホワイエがあります。床に外の風景が反射した外への広がりに思わずガラスの方に行きたくなります。今までの人工照明の内部エントランスに対して自然光が降り注ぐ開放的なホワイエとなっています。
しかし近づけば近づくほど波板ガラスの乱反射は消え、実際の外の風景を楽しむことができます。全体で見ると曖昧にモザイクされたような虚像が一面に広がっています。
ブルーボックス
ホワイエの階段を上るとブルーボックスへ通じます。
階段を上り切ると青色のホワイエがあります。
ブルーボックスは座席、壁面が青色となっています。
そしてブルーボックスとグランドシアターは両ステージの開閉が可能で、多様な用途を可能にしています。
グローブ・ハウス
2階ホワイエのショップ側エスカレーターを上がるとグローブハウスへ通じます。
ドームは2重構造になっており、ホールを内包する内壁と一番外側の外壁の間には、上部座席・VIP席までの通路と、天井部分には映写室・照明・設備が収められています。
そしてグローブキューブのホワイエにはキューブと波板ガラスの取り合いを間近で見ることができます。
スタジオ
上層部には貸しスタジオがあります。
スタジオフロア廊下の共用スペース
都市のアイデンティティの喪失
以上、建築ツアーで見学可能な建物の様子をご紹介しました。建物は中央のガラスヴォリュームに3つのスタジオが挿入されたかのようなアイコニックな外観が特徴でした。ホールはホールの内装にふさわしい防音壁や天井が青色のツラ仕上げに対して、ホール以外のピロティ、エントランスホール、ホワイエは、耐火被覆仕上げの鉄骨の構造体・天井デッキプレート・設備・照明が剥き出しのスケルトン仕上げになっています。
特に1階のエントランス前のピロティは「立体駐車場」や「倉庫」と言われてもわからないほど建築家の意匠性・デザインは感じられません。
OMAのレム・コールハースは「ジェネリックシティ」という言葉を用いて、現代の都市に溢れかえるいわゆる”空間のアイデンティティの喪失”について言及しています。今や世界中の都市では、どこにでもあるような同じような空間が大量に量産されています。特に新興国と呼ばれる国では都市への増大な居住者の流入を背景に、先進国の資金源をもとに橋や鉄道、道路、空港、港湾、ダムが整備され、郊外には先進国の大手メーカーの生産工場の進出、サプライチェーン化された大型農地や加工工場、大手チェーン店の出店・それらを1箇所に集約した大型ショッピングモール、都市にはパッケージ化されたプログラムの高層オフィス・タワーマンション等・・・固有のアイデンティティを備えた内部空間をほとんど持たない、都市の「近代化」凄まじい勢いで行われています。
特にコールハースは、ジェネリック・シティの最も特徴的な単一要素として挙げる空港にその多くを見ることができるといいます。
空港は大勢の人の通過動線であり、都市のようにさまざまな施設で満ちている。また、全体の造形が高い自立性を持つ一方、固有のアイデンティティを備えた内部空間をほとんど持たない
日本でも同様に都市や郊外で「ジェネリックシティ」化は現在でも進んでいます。官民が結託した「高層オフィスやタワーマンション」や地価高騰による「街中のお店のチェーン店化」、物価高・円安(2024年現在)によりますます依存度が高まる「都市・郊外の大手店舗や大型ショッピングモール」など都市のジェネリックシティ化は加速するばかりです。
また本来都市の公共スペースや公共空間の拡充は行政が担うべきですが、今やそれらの空間はショッピングモールや商業空間が担いつつあります。その背景には行政にとっては公共が商業化されることで、財政支出が民間の出資で済み、さらに経済活動もそこで行われることを期待されているのです。特にヨーロッパのように古い建物や広場を持たない分、街の新陳代謝はスムーズに行われ、都市の集まる場所や公共空間は商業空間へと追いやられます。
オフィスや学校建築なども経済合理性によって同じような空間が量産されています。これらはいわゆるゼネコンと呼ばれる橋や鉄道の受注・施工が得意な建設会社によって施工され、同じ建設会社が都市のあらゆる場所で建設行為を行います。
非凡空間にシースルーの仕上げ材を貼り付ける
しかしOMAはそういった都市のアイデンティティの喪失に対して完全に否定的な態度を取るのではなく、むしろ都市のジェネリックシティ化の流れの中で、非凡化する空間を用いてどのようにうまく編集(=設計)するか、台北パフォーミングアートセンターで提示しています。
建物全体の「地」はジェネリックシティのでお馴染みの非凡化された空間が用いられています。すなわちそれは空港や商業施設でも見られるようないわゆる意図的にデザインされていない空間です。しかしOMAは非凡化された空間をひとつのかたまり(ボリューム)として捉え、そこにデザインされたプログラムや素材・仕上げ材を編集的に挿入します。
そして非凡な空間には至る所にOMAのデザインされた素材・仕上げ材が要素的に貼り付けられます。例えば1階のピロティは、非凡な空間から周囲の街を見渡すと下半分の実像の景色と上半分のモザイクされた波板ガラスの風景が広がります。
1階のエントランスホールの内壁は非凡な空間を見通せる網仕上げになっています。
2階のエントランスホール内壁もスケルトンを見通せる網目の内壁仕上げとそれを利用したピクトサインが描かれています。
我々が普段の生活で享受している非凡空間のスケルトンに、OMAはそれを見通せる仕上げ材をレイヤー状に貼り付けています。建物を司る非凡空間(躯体)を完全に隠すわけでもなく、また完全に見通せるスケルトン仕上げにするわけでもなく、その中間の半透明の仕上げ材を内壁デザインとしています。すると建物を司る躯体が見えつつもデザインされた内部仕上げにすることで、躯体と内部仕上げの乖離が生じずに済み、非凡空間(躯体)に意匠的なデザインが付け加えられた、「非凡空間の引用とそれに対するデザインのあり方」を提示しています。
完全なツラの内部仕上げにしてしまうと、そもそも非凡空間を引用していることがわからなくなる上に、躯体と内部仕上げの乖離が生じてしまうので、設計者の意匠的なデザインは内部仕上げに依存してしまいます。OMAは非凡空間の引用も含めて、それらスケルトンの見せ方も意匠デザインとして含めているのです。
また一部分の内壁には銀のモザイクタイルが仕上げられ、映画のスタジオセットかのようにそこのワンシーンだけが綺麗な仕上げ材となっています。
全体ではなく一部分だけに仕上げることで仕上げ材とスケルトンの対比を生み出し、非凡空間における空間全体の綺麗さを演出しています。
そして階段広場の先のホワイエには波板ガラスの台北の景色が広がっています。先ほどの銀タイルやホワイエの大理石はその先の風景を映し出し、外への空間の広がりを演出しています。これら大理石も床に部分的に仕上げられ、まさに意図的に演出されたシーンの編集であることがわかります。
波板ガラスは風景を乱反射させるので、そのままの風景を眺めることはできません。しかしその風景さえも映像かのように2次元的なキャンバス、すなわち仕上げ材のように扱われています。つまり外の都市活動が生中継されたスクリーンが仕上げ材としてそれが内壁となっているのです。もしこれが通常のフロストガラスであれば、そのガラスは非凡な躯体の内外を仕切るだけの、非凡躯体と等価なデザインとみなされ、目の前の非凡なブレース・柱とOMAの意図的な仕上げ材のレイヤー化を図ることはできなかったことでしょう。
建築家 vs ゼネコン
我々は普段の生活で快適で楽チンなゼネコン建築を享受しており、建設業界も経済的で施工しやすい非凡な躯体を用います。「非凡」と記している時点で筆者含め建築家の間ではそういったゼネコン建築に嫌悪感を抱いており、否定的な風潮が蔓延しています。しかしそこで否定的な態度をとり嫌悪感を抱いている間にも、世界中のゼネコンがそれを用いるの辞めるかゼネコンが都市設計から撤退しない限り都市のアイデンティティの喪失の進行は阻止することはできません。
OMAは世の中の都市の大部分で使われる非凡な躯体に対する新たな意匠的な使いこなし方と空間を提示することで、業界内部からの変革を起こそうと試みているのです。実際に非凡な躯体の空間はデザインされた仕上げ材にと融合され、商業化してしまった私たちの感性に訴えかけるような、非凡さを感じさせないむしろ新し空間体験がそこには広がっています。
実際建築家の空間とゼネコンの空間を自由に選択できるような経済的豊かさのある人はごくわずかで、かつゼネコンも目先の経済的利潤のためにそれらを量産しているのが現実です。その両者に一石を投じる建築なのです。