香川県の建築はこちらをご覧ください。
基本情報
所在地 | 〒760-8570 香川県高松市番町4-1-10 |
アクセス | ・「高松駅」より徒歩20分 ・「高松駅」より65川島・フジグラン十川行バスまたは、73庵治線国際ホテル・庵治行バスまたは、6屋島大橋線三越前・高松駅・瓦町行バスまたは、61川島・フジグラン十川行バスまたは、75大学病院線大学病院・ことでん高田駅行バスに乗車し、「県庁通り中央公園前」下車徒歩6分 ・「高松駅」よりショッピング・レインボー循環バス西廻りまたは、15香西線香西車庫行バスまたは、13下笠居線弓弦羽行バスに乗車し、「県庁・日赤前バス停」下車徒歩1分 ・「高松駅」より41佐線栗林公園・由佐・空港行バスに乗車し、「五番町バス停」下車徒歩6分 ・「琴電瓦町駅」より徒歩10分 |
開庁時間 | 8:30〜17:15 |
閉庁日 | 土曜日、休日、12月29日〜1月3日 |
HP | https://www.pref.kagawa.lg.jp/kocho/shokai/kencho/accessmap.html |
並外れたピロティの使い方
「香川県庁舎」は東館は1958年、本館は2000年に竣工しました。いずれも丹下健三氏の設計によるもので旧本館は現在の本館完成に伴い東館となりました。初代県庁舎は現在の高松丸の内にありましたが、1945年の高松空襲により奨励館や幼稚園、国民学校に仮庁舎として移転を余儀なくされました。そして1946年、旧高松赤十字病院跡地が現在の香川県庁の場所となり、1956年には丹下氏設計の旧本館の工事が着手されるようになります。
敷地の南側には当時丹下研究室の現場担当者だった神谷宏治氏が作庭した「南庭」、東側には4階建てのホールや会議室、北側には地上11階、地下1階建の庁舎が配置されています。いずれも低層部の1階と2階はピロティになっています。一見どこにでもありそうなピロティ建築にも見えますが、丹下氏は当時のモダニズム建築に用いられてきたピロティとは並外れた用い方をします。
同時期のピロティ建築に代表されるようなル・コルビュジエの「サヴォア邸(1931)」や「国立西洋美術館(1959)」、坂倉準三の「神奈川県立近代美術館(1951)」は、1階部分は柱のみの吹きさらしの空間で、2階以上が部屋になっています。これらピロティは人間的スケール、いわばその建物と都市をゆるやかにつなぐための玄関のような空間です。
通常その建築の一部として一層分の高さので用いられるピロティですが、丹下氏はピロティをその建築を出入りする人のためだけのものでなく、「都市的な尺度」として公園のような“ランドスケープ”として扱い、通りかかった人や訪れた人、全ての人に向けた二層分の高さのピロティになっています。
周囲に開かれた低層部
通常の建築の二層分ある丹下氏のピロティですが、結果的に周辺街区と敷地が一体となった土木的な“ゲート”として建築と都市をそのまま連続させます。
エントランスホールも同様に二層分のピロティになっています。内外は柱の間のみにはめ込まれた巨大カーテンウォールで仕切られており、視覚的に屋内外を連続させ、日本庭園のようなお庭との関係を築きます。
1階ロビーには丹下研究室にりデザインされた木製・陶製の椅子、木製棚、石テーブル、香川県出身の画家猪熊弦一郎氏の壁画『和敬清寂』、剣持勇氏デザインの家具が置かれます。また受付のテーブルは「庵治石」、床の石は小豆島の花崗岩を使用し、地元産の材料が多く使われています。
また通常塀で区切られる敷地と道路の境は、南庭のランドスケープにより自然な敷地境界を実現しています。特に敷地南側の道路は通路量が多く歩道も狭いですが、公園として子ども達が安易に飛び出さないためにも、池と盛り土で区切ることで、周辺街区に対して一体のお庭風景として見事にその関係性を断ち切らずに計画されています。まさに周囲に開かれた庁舎です。
画期的なコアシステム
11階建ての庁舎は当時としては高層建築です。来庁者をスムーズに各フロアと結ばなければなりません。そこで丹下氏は縦動線の伴う階段やエレベーター・シャフト、縦配管が必要なトイレや機械室などの共用施設を各階の中央に配置し、それを建物の構造体となる耐力壁により囲まれたスペースに収めました。これを「コアシステム」と呼びます。
すなわち各階を貫き支える柱の構造体に、各階に必要な共用施設・機能配管を収めることで、それが全フロアに行き渡ります。結果、“縦動線・配管・施設を収めた柱”として、背骨のように建物を支えています。すると敷地全体でみるとコア以外の四方のスペースは自由な意匠設計が可能となります。南庭や都市スケールのピロティ、エントランスホールなど必要な施設・機能を一箇所に集約させることで、自由な平面・断面計画が実現しました。来庁者は都市からエントランスホール、エレベーター、各フロアへと緩やかなアクセスが可能となっています。
また各フロアは1.8mの格子状梁により支えられています。この梁通りに沿って自由な間仕切りが可能となっており、各フロア用途に合わせて空間を仕切ることができます。これら梁は建物外周部の柱を貫き、四方に向かってキャンチレバーしています。すると各フロア四方外部空間に向かって伸びてゆく床の広がりを感じることのでき、いわゆる"無限定空間"を実現しています。各フロア外周部は、外に向かって伸びてゆく床により日本家屋の縁側のような豊かな屋外との関係性をつくりあげています。
結果、耐荷重まで極限に細く設計された梁断面のプロポーションが、建物のファサードとして現れるようになり、日本の伝統的な木造建築の軒先イメージをコンクリートで表現したような「和風モダニズム」と評されるようになりました。