「円筒分水」基本情報

所在地:〒213-0032 神奈川県川崎市高津区久地1-34
アクセス:JR南武線「久地駅」から市営バス「第三京浜入口」行きまたは東急バス「二子玉川」行きに乗車、途中の「新平瀬橋」バス停より徒歩2分
JR南武線「武蔵溝ノ口駅」または東急田園都市線・東急大井町線「溝の口駅」から市営バス「向ヶ丘遊園南口」行きに乗車、途中の「新平瀬橋」バス停より徒歩2分

二ヶ領用水の歴史

神奈川県川崎市を流れる二ヶ領用水。二ヶ領用水は、度々洪水を起こす多摩川の水を生活用水、農業用水として安定的に安全に利用するための用水路として、1597年徳川家康から治水と新田開発の命を受けた代官・小泉次太夫は用水建設の指揮をとり、人員不足もあって14年かかって完成しました。完成後は米の収穫量が上がるなど、一定の評価を得ました。

その後、江戸時代には水紛争が起こり、流域の農村では用水組合をつくって各地域ごとに引く水の量を割り当てたものの、水取り合戦が絶え間なく続き、1821年に起きた「溝の口水騒動」は二ヶ領用水史上最大の紛争で、各地区に送る水の配分で争いが起こりました。

農民の争いを沈めた装置

そこで、送水されてくる水の量が変わっても水分比が変わらない定比水分装置のひとつである、「円筒分水装置」が1941年に造られ、これにより円弧の長さに比例して一定の比率で分水され紛争は収束へ円筒分水は1998年には国登録有形文化財に指定されました。

昭和時代に入ると工業用水として利用されるようになり、戦後の急激な高度成長と宅地化と工業化により、二ヶ領用水の水質は生活排水と工場排水で悪化するも下水道の整備、1980年代になると水域の市民たちによる二ヶ領用水再生、さらに行政の遊歩道や護岸の整備、埋め立て部分の緑地化もあり現在では市民の憩いの場となっています。

二ヶ領用水は、上河原堰で多摩川から取水し、川崎市高津区久地で新平瀬川に合流し、新平瀬川経由で多摩川に戻される水と、久地円筒分水に流入する水に別れます。久地から先は、根方堀、川崎堀、六ヶ村堀、久地・二子堀と呼ばれる4方向に分岐します。その際、円筒分水により各用水の円弧の長さに応じた一定の比率(7.415 : 38.471 : 2.702 : 1.675)で正確に分水されます。

「円筒分水」のすぐ真横を流れる「新平瀬川」
左が「久地堀」、右が「六ヶ村堀」、どちらも多摩川へ戻される
円筒分水を少し過ぎた後の「川崎堀」