菊竹清訓設計の大作、1964年に建てられた【東光園】を徹底レポート!!鳥取県米子市

山陰地方の「菊竹清訓建築」は下の記事をご覧ください。

基本情報

所在地〒683-0001 鳥取県米子市皆生温泉3-17-7東光園
アクセスJR米子駅より「21」、「22」、「23」、「24系統バス」に乗車し「皆生温泉観光センターバス停」下車(所要時間約20分)徒歩5分
HPhttp://www.toukouen.com/

菊竹清訓の人工地盤

「ホテル東光園」は1964年に菊竹清訓氏の設計により竣工しました。建物は皆生温泉の温泉街にあり、建物の目の前には広大な日本海が広がっています。

7階の大梁によって5、6階の客室は吊り下げられ空中に浮いている

建物は鉄筋コンクリート造で、1階から3階までは地面から立ち上がる構造体ですが、5階から6階の客室は7階に設置された大梁によって吊り下げられ空中に浮く、吊り構造になっています。

出典:米子工業高等専門専門学校

7階の大梁は6本の柱で支えられていますが、それらの柱は座屈を防止に3本の添え柱によって補強され支えられています。まるで広島嚴島神社の大鳥居のようです。

ホテルロビー、二層分の解放的なエントランスに1本の主柱と3本の添え柱が出現する
嚴島神社大鳥居

地面から建ち上がる地盤と空中に浮く床スラブの間の4階は、空中庭園として吹きさらし階になっており、床には砂利が敷いてあります。後から増築用に吹きさらしのスペースが設けられているのです。

4階吹きさらし階の「空中庭園」、床は地面からの構造体だが、天井は吊るされた客室である

東光園は結果的に世界で最初で最後の「ダブルピロティ建築」であると言えます。1階から3階はまでは地面に立つ通常の建築ですが、4階の空中庭園は地面から連続的に盛り上がった人工地盤と見なすこともできます。1階の2層分あるフロントは主柱と添え柱が突き抜けるピロティ空間でしたが、4階の人工地盤階にもその柱が突き抜け「空中のピロティ空間」を成しています。

空中のピロティ空間

客室を吊すPC梁は、客室の荷重に耐えうる十分な梁せいが必要なため、7階は梁間階となっており、梁間階には8階のレストラン、宴会場のための倉庫や収納庫として使われています。

最上階のレストラン・宴会場下の7階は梁間階となっており、倉庫として使われる

床を大切にする菊竹建築

菊竹さんのどの作品を見ても床を大切に扱います。ご自身の著書の中でも「床は空間を規定する」と述べられています。

菊竹さんの処女作である「スカイハウス」は、10m四方のワッフルスラブが各辺の中央の壁柱により支えられ、空中に浮く一枚のスラブがワンルーム空間を規定しています。

1958年に竣工した菊竹氏の処女作「スカイハウス」

「旧館林市庁舎」は四角のコアに支えられたスラブが積層され、その床が四方に伸びるようにキャンチしています。

四方に伸びるようにキャンチする「旧館林市庁舎」の床

極めつけは「徳雲寺納骨堂」で、空間を規定している床から壁は浮いており、床は壁と交わることなく永遠にどこまでも伸びてきそうです。

東光園は大梁に吊るされた、5階と6階の床が空中に浮いています。

出典:米子工業高等専門学校 空中に浮く床スラブ

菊竹さんはこのように床スラブを支える柱や梁、コアなどを、空間を規定している床からなるべく切り離して、空中に浮かせます。それはまさに、床が壁や柱と交わらずに永遠にどこまでも伸びていきそうです。西洋的な建築は壁が床を仕切り空間を規定していますが、菊竹さんの建築は空中に浮遊した床のみが空間を定め、虚空に限りなく消えていきます。

最上階の7階は天井の高い広々としたHPシェルの宴会場になっていますが、三方に広がる景色のうち前方には日本海が広がっています。上空に浮かぶ床が日本海の向こう側まで限りなく伸びていきます。

宴会場
空中に浮かび宴会場を規定する床スラブ

主柱を補強する添え柱は4階までで5階から主柱のみになっています。5階と6階の客室は和室には、吊り構造によって和室内に太い柱・梁が現れずに済み、和室の繊細なプロポーションを実現しています。すなわち床は柱と交わらずに済み、室内の空間がそのまま限りなく目の前の景色に消えていくのです。

出典:新建築 6階洋室

菊竹清訓の身体性

ホテル東光園は2017年に国登録有形文化財に指定されました。文化庁は「有形文化財」を以下のように呼んでいます。

建造物、工芸品、彫刻、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料などの有形の文化的所産で、我が国にとって歴史上、芸術上、学術上価値の高いものを総称して「有形文化財」と呼んでいます。

建物は目の前の日本海の塩害による損傷も激しく、さらに東光園の構造体は前例のない吊り構造となっており、建物を維持・管理するには十分な専門家の議論も欠かさず、費用も膨大なものとなるでしょう。ではこのような一見奇抜で、維持に費用のかかってしまう建物は、何のために保存する必要があるのでしょうか。

それは逆に言わせてみれば、経済性を優先する資本主義社会の中において、「人々の感性の商業化」が懸念されます。21世紀の建築はすぐに消費されてしまう流行性のあるものばかりで、果たして四則演算による社会は合理的な社会と呼べるのでしょうか。

菊竹さんの「床を大切に扱う精神」は、後世の建築家のみならず私たち日本人にも通ずるものです。例えば日本の家は必ず靴を脱いで上がります。またその床は地面から少し浮いたところにありますが、浮いた床は外側にある自然と密接に関係し合います。縁側がまさにもっともたる例です。

庭園と床

日本の建築は内側のお部屋と連続するように、縁側が外側の自然に向かって限りない関係性を築いています。すなわち日本の床は内側の空間が外に向かって延長され、やがて向こう側に消えていくのです。

それが後世の建築家たちの身体的なイメージとして、絶対的な水平スラブの床が四方に消えていくような、内と外の関係を築くようになりました。

例えば妹島和世さんはフラクタルな曲線を用いた建築が多く見られますが、それは水平スラブが虚空に消えていくような、内と外との曖昧な関係性を実現しています。

各階の諸室は建築の内と外を仕切るガラスから離れた内側に寄せられ、ガラスと諸室との間は、まさに縁側のような空間です。

妹島和世氏設計の「豊田市生涯学習センター」、フラクタルな水平スラブが四方に限りなく消えていく

このように菊竹さんの建築は、菊竹さんご自身の奥底に秘められた身体的なイメージがそのまま建築となり、ここを訪れた人誰もが潜在的なイメージとして共鳴しあっているのです。

そんな数値では計り知れない、後世の建築家たちの覚醒剤ともなった菊竹清訓の建築を取り壊すべきだと思いますか。