「中銀カプセルホテルタワービル」基本情報

所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座8-16-10
アクセス:JR「新橋」駅より徒歩8分
都営大江戸線「築地市場」駅より徒歩5分
都営大江戸線、ゆりかもめ「汐留」駅から徒歩7分

取り替え可能な建築

積み上がった積み木のような外観が特徴の「中銀カプセルホタルタワービル」は、黒川紀章氏の設計により、1972年に建てられました。独立性の高い住居は、ひとつひとつのユニット単位で取り外し可能で、固定されたボルトを外せばすぐに取り出せます。ただ技術的には可能ですが、現実的に様々な問題があることから、過去に一度も取り外されたことはありません。

黒川氏は週末に、トレーラでユニットを富士山麓まで運び、暮らす「ホモ・モーベンス(動く民)」を想定して設計したといわれています。なんとも奇想天外な発想なのでしょうか。しかし、これには中銀カプセルホテルタワービルが建てられた時の時代背景にあります。

組み合わせ自由な建築

中銀が建てられた時代背景

1960年代日本は高度経済成長を迎えます。日本社会の急激な変化による都市の人口増加と膨張・拡大に対応すべく、「メタポリズム」という考え方がありました。メタポリズムのもとの語源は「新陣代謝」ですが、その名のとおり、古い細胞が新しい細胞に生まれ変わる生物のように、刻々と変化する都市が求める空間や機能に合わせて建築も、古く合わなくなった空間やユニットを新しものに対応するするという、「メタポリズム建築」の考え方です。

メタポリズム建築の代表的な考えは他にも、『塔状都市』、『海上都市』、『農村都市計画』、『新宿ターミナル再開発計画』があります。いずれも1960年に東京で開催される予定だった、「世界デザイン会議」に招集された4人の建築家、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、槇文彦が『METABOLISM/1960 都市への提案』のにて発表した案です。戦後、日本の都市デザインに大きな影響をもたらしたメタポリズム。彼らによると、小さな原子レベルでの核分裂現象が、大きな都市を破壊させたように、建築も小から大までのスケールで考えることができ、特に二重らせん構造を持つDNAの形をした、黒川氏の「東京計画1961−Helix計画」はまさに、生物を支える増殖システムが元となっています。