広島市内の建築は下の記事をご覧ください!
基本情報
所在地 | 〒730-0811 広島県広島市中区中島町1-2 |
アクセス | 「広島駅」より広電で「原爆ドーム前駅」下車(所要時間20分)、徒歩5分 |
開館時間 | 3月〜7月・9月〜11月:8:30~18:00 8月:8:30~19:00 12月〜2月:8:30~17:00 |
休館日 | 12月30日、31日 |
入館料 | 大学生以上:200円、高校生:100円、中学生以下:無料 |
HP | http://hpmmuseum.jp/ |
誰もが常に、非日常的なシーンを切り取る
1945年8月6日、アメリカ軍の原子爆弾により広島市の多くの街が被爆し、14万人の市民が犠牲となりました。核兵器を使用した都市攻撃は人類史上広島が初めてです。
被爆後は市民や学術機関によって、被爆資料の収集が行われていました。そんな中、集まった資料を展示・公開し、原爆がもたらした禍を世界に広めるべく、展示施設を建設する機運が高まっていきました。
広島市は、旧中島地区を記念公園として整備することを決め、1949年、「広島平和記念都市建設法」の可決にともない、「広島平和記念公園」・「広島平和会館原爆記念陳列館(現、平和祈念資料館)」の設計者を選定するコンペティションが行われました。
中でも一等に選ばれた丹下健三氏の案は唯一、平和祈念資料館から元安川を超えた先にある原爆ドームを景観軸として捉え、その軸線に沿ってつづみ状に公園の遊歩道を整備するものでした。
設計者の丹下氏は「平和への意思を結束させるための施設」として、公園全体の意識を原爆ドームへと向けさせ、原爆ドームが常に象徴的なシーンとして捉えられるようなランドスケープデザインを提案したのです。
実際に平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ軸線上には、イサム野口氏がデザインした慰霊碑と池が配置されています。池の配置により軸線中央を人が歩けないようになっていますが、これはあくまで軸線が軸上の人とその先のの原爆ドームを視覚的に捉えるためのものであることがわかります。すなわち自分と原爆ドームとを切り取るシーンの中に他の人が入り込まないことで、常に自分とその先にある原爆ドームの一対一の対話関係を築き上げています。
さらに丹下氏の設計が世界的にも評価されている理由のひとつとして、平和祈念資料館本館のピロティのあり方にあります。本館のピロティの高さは6498mmあり丹下氏はこれを「社会的人間の尺度」と名付けていますが、二層分あるピロティ下空間は平和記念公園のための連続した屋外空間であることがわかります。
都市的なスケールの高さをともなったピロティで持ち上げられた資料館は公園の門として、公園と資料館が立体交差する形で、公園の空間を背後の100m道路に対して連続的に延長させていることに成功しています。
すると軸線と100m道路が垂直に交わるするように、6.5mのピロティ越しに原爆ドームを捉えることができ、公園外を通りゆ誰もがその軸景観を捉えることができます。もし従来のピロティであれば、軸景観を記念館が独り占めすることとなっていたでしょう。
平和記念公園と資料館
記念資料館のピロティは柱はつづみ型に配置され、それに付随して2階展示室の壁もつづみ型に配置されています。
つづみ型による2階展望フロアのくびれは原爆ドームとの軸線を意識化させ、そこに人が集まれるスペースを生み出しています。
現在のエントランスは本館の脇にある東館ですが、開館当時は1階ピロティに設けられた階段より入館していました。天井高4964mmあるピロティ空間は階段の踊り場の床スラブによって二分されていることがわかります。
丹下氏は6.5mあるピロティの社会的尺度に対し、エントランス付近は4974mmを二分した2482mmの「人間の尺度」としています。ひとつのピロティ空間で公園から都市スケールをともなったピロティ、そして人間尺度のエントランスへと自然な人の流れをつくり出しています。
ピロティ柱は軸線方向に対して平行方向に見付幅を細くし、軸景観を損ねないような造形になっています。全体的に軸線と平行に設計された公園なので、公園にいる多くの人はピロティの柱が細く見えるようになっています。